2日目の長島ダイアローグでも前日に続いて興味深い対話が繰り広げられた。
武久顕也(瀬戸内市長)の挨拶で始まったこの日は、「地域として歴史を伝えていくことの大切さ」を語る田村朋久(長島愛生園学芸員)の解説に続き、
『ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン』代表の志村真介・志村季世恵と、和田夏実(東京大学大学院総合文化研究科研究員)の2組による基調講演、
さらにジャーナリストの堀潤の司会によるパネルディスカッションが行われた。
人や場所の記憶を受け取り伝える方法はひとつではないし、
特定の誰かが伝えていく必要もない。
受け取ったその人が自身の内面の世界に波紋を広げていった先に「継承」という行為が現れてくるのではないでしょうか。
これまで大きな主語で語ってこられた数々のこと、小さく小さく、個々の物語にしたときに見えてくる何かがあるのかもしれません。
長島から生まれる様々な対話によって、自分と異なる他者に触れる。
まだ知らない私自身を発見する。尊重という行為を知る。
そうして、新しい世界へ橋が架かっていくと私たちは信じています。
大切なことは、目に見えるとは限らないし、
聴こえてくるものでもないかもしれない。
はたまた、自分の輪郭さえ失うほどの闇の中で、
見つかるかもしれない。
国立療養所 長島愛生園は2030年に100周年を迎えます。
幾重にも重なった歴史を自身の身体を使って紐解き、
足元深く、内面にある新しい感覚を呼び覚ます。
ひらかれた長島から心に橋を架け渡します。
基調講演
Keynote Speeches
ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン
代表
志村真介
SHIMURA Shinsuke
一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ 代表理事
志村季世恵
SHIMURA Kiyoe
ダイアログ・イン・ザ・ ダーク・ジャパン 代表
志村真介
SHIMURA Shinsuke
1962年生まれ。関西学院大学商学部卒。コンサルティングファームフェロー等を経て1999年からダイアログ・イン・ザ・ダークの日本開催を主宰。
1993年日本経済新聞の記事で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」と出会う。
感銘を受け発案者ハイネッケに手紙を書き日本開催の承諾を得る。2020年8月、東京・竹芝「アトレ竹芝」内にダイアログ・ミュージアム「対話の森」をオープン。
著書に『暗闇から世界が変わる ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦 』(講談社現代新書)
一般社団法人ダイアローグ・ ジャパン・ソサエティ 代表理事
志村季世恵
SHIMURA Kiyoe
1962年生まれ。
心にトラブルを抱える人、子どもや育児に苦しみを抱える女性をカウンセリング。クライアントの数は延べ4万人を超える。
1999年からはダイアログ・イン・ザ・ダークの活動に携わり、発案者アンドレアス・ハイネッケ博士から暗闇の中のコンテンツを世界で唯一作ることを任せられている。活動を通し、多様性への理解と現代社会に対話の必要性を伝えている。
著書に『さよならの先』(講談社文庫)、『いのちのバトン』(講談社文庫)、『大人のための幸せレッスン』(集英社新書)など。
基調講演
Keynote Speeches
東京大学大学院 総合文化研究科 研究員
和田夏実
WADA Natsumi
東京大学大学院 総合文化研究科 研究員
和田夏実
WADA Natsumi
ろう者の両親のもとで手話を第一言語として育ち,大学進学時にあらためて手で表現することの可能性に惹かれる。
視覚身体言語の研究、様々な身体性の方々との協働から感覚がもつメディアの可能性について模索している。
東京大学大学院 先端表現情報学 博士課程在籍。同大学 総合文化研究科 研究員。2016年手話通訳士資格取得。
パネルディスカッション
Panel Discussion
ジャーナリスト
NPO法人8bitNews代表理事
堀 潤
HORI Jun
ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン
代表
志村真介
SHIMURA Shinsuke
一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・
ソサエティ 代表理事
志村季世恵
SHIMURA Kiyoe
東京大学大学院 総合文化研究科 研究員
和田夏実
WADA Natsumi
長島愛生園自治会 会長
中尾伸治
NAKAO Shinji
長島愛生園 園長
山本典良
YAMADA Noriyoshi
長島愛生園 学芸員
田村朋久
TAMURA Tomohisa
Moderator
モデレーター
北九州市立大学ビジネススクール
特任教授/TAO CAFE 代表
林田暢明
HAYASHIDA Nobuaki
ジャーナリスト NPO法人8bitNews代表理事
堀 潤
HORI Jun
1977年兵庫県生まれ。
NPO法人8bitNews代表理事
株式会社GARDEN代表。
立教大学文学部ドイツ文学科卒業後、2001年NHK入局。「ニュースウォッチ9」リポーター「Bizスポ」キャスター等、報道番組を担当。2012年、市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、2013年4月1日付でNHKを退局。
現在は、TOKYO MX「モーニングFLAG」のMCをはじめ、AbemaTV「Abema Prime」、読売テレビ「かんさい情報ネットten.」や「ウェークアップ」などに出演し、国内外の取材や執筆など多岐に渡り活動中。
淑徳大学人文学部客員教授。
「Forbes Japan」オフィシャルコラムニスト。2019年から、早稲田大学グローバル科学知融合研究所招聘研究員に就任し、SDGsフロンティアラボで官民の枠を超えたイベントや情報発信を企画している。
2020年、自身で監督、出演、制作を行った映画「わたしは分断を許さない」を公開。
長島愛生園入所者自治会 会長
中尾伸治
NAKAO Shinji
1934年奈良県生まれ。
13歳のときにハンセン病に罹患していることが明らかになり、1948年、長島愛生園に入所。2011年から長島愛生園入所者自治会会長。
ハンセン病の語り部として、小中学校などを中心に各地で講演や交流活動を行なってている。
また現在、長島にあるふたつの国立療養所、長島愛生園と邑久光明園、および瀬戸内市が中心となり推進する「ユネスコ世界文化遺産」と「ユネスコ世界の記憶」ふたつの世界遺産登録を目指す活動も精力的に行っている。
国立療養所長島愛生園 園長
山本典良
YAMAMOTO Noriyoshi
1963年岡山県生まれ。
岡山大学医学部、同大学院医学研究科博士課程卒業 医学博士。
外科専門医、日本外科学会指導医、(臨床研修指導者養成課程講習会修了、プログラム責任者養成講習会修了、JATEC コース修了)
長島愛生園歴史館 主任学芸員
田村朋久
TAMURA Tomohisa
1999年福山大学経済学部卒。
2001年より長島愛生園勤務。2003年、長島愛生園歴史館の立上げに従事。同年、佛教大学博物館学芸員課程終了。
年間1万人以上の来館者に対しハンセン病問題の解説を行うとともに、年間30本以上、各地で講演活動も行っている。
2008年、岡山南ロータリークラブより職業奉仕賞受賞。
2010年4月より公益財団法人日本科学技術振興財団に移籍、2016年4月より公益財団法人日本財団に移籍、2019年より笹川保健財団に移籍、長島愛生園歴史館での事業を継続している。
長島愛生園歴史館主任学芸員。長島愛生園歴史館事務局責任者。長島愛生園附属看護学校非常勤講師。大手前大学非常勤講師。公益財団法人長濤会評議員。NPO法人ハンセン病療養所世界遺産登録推進協議会ロードマップ委員長
ダイアログ・イン・ザ・ ダーク・ジャパン 代表
志村真介
SHIMURA Shinsuke
1962年生まれ。関西学院大学商学部卒。コンサルティングファームフェロー等を経て1999年からダイアログ・イン・ザ・ダークの日本開催を主宰。
1993年日本経済新聞の記事で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」と出会う。
感銘を受け発案者ハイネッケに手紙を書き日本開催の承諾を得る。2020年8月、東京・竹芝「アトレ竹芝」内にダイアログ・ミュージアム「対話の森」をオープン。
著書に『暗闇から世界が変わる ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦 』(講談社現代新書)
一般社団法人ダイアローグ・ ジャパン・ソサエティ 代表理事
志村季世恵
SHIMURA Kiyoe
1962年生まれ。
心にトラブルを抱える人、子どもや育児に苦しみを抱える女性をカウンセリング。クライアントの数は延べ4万人を超える。
1999年からはダイアログ・イン・ザ・ダークの活動に携わり、発案者アンドレアス・ハイネッケ博士から暗闇の中のコンテンツを世界で唯一作ることを任せられている。活動を通し、多様性への理解と現代社会に対話の必要性を伝えている。
著書に『さよならの先』(講談社文庫)、『いのちのバトン』(講談社文庫)、『大人のための幸せレッスン』(集英社新書)など。
東京大学大学院 総合文化研究科 研究員
和田夏実
WADA Natsumi
ろう者の両親のもとで手話を第一言語として育ち,大学進学時にあらためて手で表現することの可能性に惹かれる。
視覚身体言語の研究、様々な身体性の方々との協働から感覚がもつメディアの可能性について模索している。
東京大学大学院 先端表現情報学 博士課程在籍。同大学 総合文化研究科 研究員。2016年手話通訳士資格取得。
北九州市立大学ビジネススクール 特任教授/TAO CAFE 代表
林田暢明
HAYASHIDA Nobuaki
1977年生まれ。福岡県北九州市出身。
日本銀行、政策シンクタンクを経て2005年、福岡にTAO CAFEをを創設。
2011年からは東京と福岡の2拠点居住を実践しながら、飲食店を地域の核とした活性化や人材育成に取り組むモデルを各地でサポートしているほか、ベトナム・ホーチミン市にもUTAKATA BARをオープンするなど活動を展開。
近年では、ファシリテーションを活用した地域づくりと教育分野に注力しており、角川ドワンゴ学園N高等学校顧問、北九州市立大学ビジネススクール特任教授として教鞭も執る。