趣味の話。

大きな身体を車椅子に載せてやってくるK北さんは、かつてゲートボールの名選手だったらしい。クタッと年季が入った帽子をいつも被ってやってくる。白地に青いツバ、ゲートボールのワッペンがフロントの部分を鮮やかに、だけどすっきり飾り立てたその帽子は、長島のチームが全国大会で優勝した時の賞品だったと聞いた。初めの頃は聞いた名前をすぐに思い出せなくて、帽子のうしろに書いてる名前をチラッとみて「あ~、K北さん!」「わー!なんでわかるんや!」なんてやり取りをよくやっていた。そして私の名前をいつも聞いて帰るんだけど、次来るときには忘れているのだった。でも「キレイなお姉さん」と声をかけてくれるので悪い気はしない。
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昭和40年代くらいのことだろうか、長島の人々はゲートボールに没頭していて、男女共にたくさんのプレイヤーがいたそうだ。K中さんの旦那さんは監督をしていたらしいし(Kちゃん自身も女子プレイヤーだった)、K志さんからは自分がゲートボールを長島に持って来たと聞いている。
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K北さんは砂糖をちょぴっとだけ入れた珈琲を飲みながら、大工と舟漕ぎで鍛えた太い手首を使って身の上話を感情豊かに話す。特によく聞くのは2つあって、ひとつは怒りのエピソード。みんなを乗せたワゴン車を運転して各地の大会へ赴いていた頃、新潟でおこなわれたゲートボールの全国大会で優勝した。その喜びを県庁に報告へ行ったら、軽くあしらわれ、全然相手にされなかったというものだ。この話をするたび、声が大きく荒ぶるK北さんは当時の怒りが全く消えてないようにみえる。
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もうひとつは、趣味のパチンコにまつわる笑い話。備前にはワールドカップという大型船の形をした昔ながらのパチンコ屋があって、私も気になり一度だけ青い鳥の合宿に東京からやって来るU太郎さんを待っている間、打ってみたことがある。北斗の拳で4連チャンのビギナーズラック、気持ちがよかった。K北さんはまだ車が運転できた頃、奥さんを邑久のパソコン教室に送ったあとワールドカップに通い、勝ち負けの帳簿を作りながらコツコツとお小遣いの範囲でパチンコを楽しんでいたらしい。だけど通うことができなくなって以来、足が遠のいてしまった。そしたら常連の姿を見なくなった店から「302番のおっさんは元気かいな?」とK北さんのもとへ電話があったらしい。いつも楽しそうに話してくれるこの話が何度聞いても大のお気に入りだ。
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302番の居場所をなくしたK北さんはさざなみにやってきては「パチンコに比べたら安いもんや」と時々私たちに珈琲をおごってくれる。いつか、さざなみにもパチンコ台置けたらいいな。(笑)
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posted : 2020.11.25
喫茶店の日々 長島を歩く さざ波立つ人たち