最年長の常連客

喫茶店の日々

オープン当初、いや、改装している時からずっとK志さんはこの店に足を運んでくれている。私が開店準備に長島へいくと、冷蔵庫には砂糖がジャリジャリまぶされたヤマザキのあんまきが必ず入っていたので、改装工事をしているU田さんとK賀さんに聞くと、それはK志さんからの差し入れらしかった。いかにもジャンクな見た目で普段なら背徳感で滅多と口にはしないけど、なぜかそれは妙にそそられる。「きりちゃん食べていいよ」と言われたので食べると、やっぱり甘くて駄菓子のような懐かしい食感と味がした。ショートケーキやチョコレートとは違う、なんとも形容しがたいあんまきは、まるでK志さんの印象そのものだ。

オープン前の私が彼について知っているのは、さざなみの立ち上げのきっかけを作ったM山さんの長島で唯一の友人だということ、どうやらすごい画家である、そしてなんと90歳を越えたおじいちゃんということ。時々M山さんが「K志さんに会ってきた」と言って見せてくる写真は私の謎ばかりを膨らませていた。K志さんのパーティーだったと見せるは岡山の繁華街にある大きな昭和の歌謡キャバレー、K志さんのアトリエ行ってきたと言っては、モールやイルミネーションで装飾されたギラッギラの舞台製作の小道具の写真を見せてくれた。そこに映るK志さんは、ジーパン姿にハンチングと昆虫のような黒縁メガネを身につけていて、背筋がピンッと伸びてしゃんとこちらを見てるので90歳を超えているとは到底思えない。私は画家だという彼が描いた作品も見たことがなかったので、まるで得体の知れないじいちゃんだった。想像だけが大きくなって、つまり、私にとって少し緊張する存在だった。

さざなみハウスがオープンしてK志さんは毎日通うようになり、少しずつ彼のことを知るようになった。船乗りをしていた戦争時代が終わって長島に来て70年、60年以上も絵を描き続けている。オープンしたての店には入所者だけでなく、長年長島に通ってきていた人たちがもの珍しげにやってくるようになったのだが、さざなみで初めてK志さんと知り合った人が少なくなかった。それは、彼が自治会のような組織に一切属さない一匹狼だったことに関係しているのだと思う。亡くなった奥さんには「あなたは愛生園にお友達がおらんからねえ。」と笑われていたほどに、黙々と自分の世界に打ち込んで、夜の街に繰り出してはびっくりするような交友関係を広げてきている。

カウンター越しのK志さんは「自分の店が出来たらなあ。」と笑いながら、これまでに自分が通ってきた店や人の話を話してくれるので、何かを書こうとするとどんどん脱線してしまうのだけど、私に一番響いたのは「損して得とれ」で間違いない。K志さんはいつもそう言って「それがわからない店は絶対にうまくいかない」と教えてくれた。それからは頻繁に手土産に何かを持ってきては「私からだと言わんでええから。店からと言って出しなさい。」と気にかけてくれるので、私はもらったものを珈琲に添えて出すようにした。すると次第に、別の人がお菓子を、さらに別の人が野菜を、なんて具合に、最初のオマケが色んなものに変わってさざなみに集まるようになった。ぐるぐると色んなお菓子が巡ってきて、時々途切れたら自分で用意して、まるでぬか床を育てるようにして、この良い流れを断ち切らないようにしている。K志さんのアドバイスのなんと潔く商売のことを的確に捉えていることか。今では悩んだ時一番に頭に浮かぶ言葉は「損して得とれ」、どんな時でも絶対に忘れないようにしようと思うのだった。

このK志さんから始まった流れは、食べものだけにとどまらず、今や本当に色々なものを招き集めるようになっていて、嬉しい気持ちとちょっと困る気持ちを天秤で測るような複雑な気分に私をさせている。これはおばあちゃん家に遊びに行った感覚に近い。けど、それは別の機会で。

posted : 2020.06.09
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