カステラ ラブバラード

「画家 K志H男が愛した

カステラとさざなみのコーヒー、

いかがでしょーかあー?」

 

なんて、ちんどん屋のごとく軽やかに声をあげるは空想の私。実際はK合さんたちのサックス演奏による聖者の行進でK志さんが出棺するそばで、声を出すタイミングを自問自答しながら、何もできず、ただ見送るだけとなった。

K志さんが亡くなったのを知らせてくれたのは、いつも彼のそばにいた職員のYさんだった。思ってたよりずーっと早いお別れ。93歳だもん、仕方ないけど。 K志さんに限っては死ぬわけがないって、さざなみが軌道に乗るまでは、無茶なこと言いながら見守ってくれるもんだと当たり前のように思ってた。

 

知らせを聞いた夜、彼の好物だったカステラを閉店後の敷島堂に押しかけ無理を言って買い、明日の見送りには珈琲と一緒にみんなへふるまおうと決める。元気だったK志さんが、自分の葬式はさざなみでパーティーしてくれって言ったし、せめて参列の人たちに笑って帰ってもらわねば、と妙な使命感に燃える。

次の日の朝一番、K志さんと最後のお別れをさせてもらった。生前、最後に会ったのはクレオパトラドリームスに店で歌謡ライブをしてもらった時。両目の下に紫色の大きなアザを作っていて、それは少し元気になった隙に、無理に走ったりなんかして、こけた時にできたと看護師のN島さんに教えてもらった。小学生かよ!なんてハラハラさせられたのだけど、そのアザを「歌舞伎役者みたい」って言ったら彼はぐるんっと首を回して、かつて愛生座に打ち込んでた時のように「ヨォ~!」とおチャラけた。そんなアザもすっかり見えなくなって、自然と力の抜けた表情にキレイな化粧が施されていた。そこにはもちろんベレー帽と昆虫みたいな大きなメガネ。

出棺までの時間、集まった店のスタッフとカステラを切って珈琲をいれる。あとはこれをどうやってみんなの手元に配るか、出棺の見送りの時間はほんのわずからしい。考えた私は、自分が演じて注目をこちらに集めるしかない、と静かに決意する。

が結局、冒頭の通り、見送ったあと一瞬にしてオーディエンスは解散、手元にカステラの準備さえなかった私の計画は誰にも知られることなく失敗に終わった。

 

そういえば、こういう歯切れの悪さを感じたことは以前にもある。去年の秋、私がK志さんに誘われて彼のプロデュースによる「歌のつどい」というイベントで木綿のハンカチーフを水色のドレスを着て歌った時のことだ。人前で歌ったことがない私は直前まで緊張して、歌いながらもドキドキして、歌い終わって高揚したテンションで「さざなみハウスをよろしくお願いしまーす!」と会場に言い逃げするような形でステージからはける。後日、DVDでその年の出来を確認していたK志さんが私のその一言に気づき「ちゃっかりしとんなあ~」と笑ってくれたけど、まだまだ自分の殻を破り切れない私を見透かされているようにもみえて、中途半端な自分にがっくり来たのだった。次こそはと思っていたけど、いざとなったらいつものチキンな私だった。

 

K志さんのこと、好き勝手をして破天荒に思う人はたくさんいたらしいけど、私はそういうところがうらやましかった。だけど、真似しようと思うと、実はすごいエネルギーがいるんだよね。自分が決めてるボーダー以上のことをするってすごく勇気がいるし、越えてみたって上手くいくとは限らないし、恥ずかしい思いだって絶対する。そして、周りの目がすごく大きく見えて気になってしまう。それなら、ボーダー以内のことをしてる方が確実だし安心するんだよね。そもそもそれ以上って別にしなくても構わないんだし。だけど、自分の殻なんてどっか遠くに投げ捨ててる人が私にはとても眩しく美しく見えてしまうのだった。

歌のつどいには、K志さんが特に肩入れする歌姫がいる。それが職員のYさんだ。彼は「Yちゃん、Yちゃん」と言いながら、いつも隣に連れて飲みにでかけたり、マネージャーのようなことをさせたり、鬼のように歌の特訓をしていた(もちろん普段は楽しくカラオケしている)。療養所内の入所者と職員の関係、というのは一般的には平等でなくてはならなくて、職員がひとりの入所者ばかりと交流することは、大きな組織の目でみるとあまり好ましくないと聞くし、確かにそんな雰囲気も感じている。だから、YさんがK志さん一人と向き合っていくのは大変なことだったのだと思う。だけど Yさんは20年以上、それに本気で応えてきた。

物腰が柔らかくてチャーミングで人当たりの良いこの女性が、K志さんとの日々を正々堂々と楽しむために、静かにたくましく自分の殻を破り続けてきた年月を想像すると、なんだかとてもグッと来て、K志さんの破天荒っぷりはきっとしっかりYさんが受け継いでいるんだろうなあと確信してます。

「翔子さんは来たかあ。」って、入院してからのK志さんの言葉をYさんは私に教えてくれた。生前最後のK志さんには会えなかったけど、この一言を聞けたのは紛れもなく彼女のおかげだ。破天荒バンザイ、私も二人みたいに毎日を楽しめるようにすっぽんぽんで人生に向き合いたい。そしてもちろん、K志さんみたいに感謝も忘れずにね。

posted : 2020.08.20
喫茶店の日々 長島を歩く さざ波立つ人たち