2021.9.16一日一題『信楽焼のこま犬』山陽新聞掲載

長島には愛生園ともう一つのハンセン病療養所、邑久光明園がある。大阪にあった公立の外島保養院が室戸台風の被害を受けて、1938(昭和13)年に長島で再建された。どうして二つの療養所が同じ島の中にあるのだろうと最初は疑問に感じていたが、そもそも成り立ちが全く違うものだった。

ある日、光明園入所者自治会長の屋猛司さんが初めてさざなみハウスを訪ねてこられた。こわもての大きな体つきを見て面食らってしまったが、実は気前がよくてとてもチャーミングな方だった。柔道をしていたらしく、移動に使う電動車いすがとても小さく見える。

以来、光明園にも足を運ぶようになり、そこでの歴史も少しずつ教えてもらっている。コロナ禍の現在、入所者の居住地区への立ち入りは制限されているが、保存されている「監禁室」や光明神社はそこから離れた山の部分にあるので散歩するにはちょうどよい。歩いて30分ほど、木々が生い茂る中に鳥居が見えてくる。

岡山の神社といえば、備前焼のこま犬が多いけれど、光明神社はそうではなかった。鳥居をくぐって出会ったのは、あの有名なタヌキにそっくりな信楽焼のこま犬だった。どこか間の抜けた顔立ちに、口の中には小さなまり。台座に「滋賀縣ライ根絶期成同盟會」と屈強な文字が残っていた。

どうして信楽焼なのか、屋さんに尋ねてみた。「滋賀と岡山と鳥取は特に無らい県運動に積極的だったからね」とのこと。無らい県運動とは、各県のハンセン病患者を療養所に送り込む運動のことで、患者を県から一掃するものだった。隔離政策の一端を担っていたに違いない。

こま犬の愛くるしい顔を見つめていると、なんだか複雑な気持ちが湧いてくる。当時、それぞれの立場の人が最善を尽くそうと奔走していたのだとしたら。私がその渦中にいたとしたら、自分が思う正義は果たして正しいものだっただろうか。そして、今を生きる私はどうなのか。足元がぐらつく思いがした。 2021・9・16

 

 

posted : 2021.09.16
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