2021.4.1~7/長島ストーリープロジェクト

わかりやすい春の陽気の4月1日、明日から下り坂かもしれない天気を気にしてもぞもぞと人が動く。散歩がてらのさざなみハウス。長島の桜はどこもかしこも満開である。一度は切り倒してしまった桜を、奈良の人たちが毎年復活させてる。吉野みたいって言ったら「ソレや」と相づち。目指すは西の吉野らしい。壮大。

 

窓の大きな店内にツバメが迷いこんで来る季節、習性という性質に毎年感動。私みたいに昔の話をする人もおらんのちゃう?という話を聞きながら、現在に面影もない位置関係の把握に努める。暮らす人たちのノスタルジーを想像しながら、建物が残してくれる空気感は貴重だなと思う。4月2日、頼るは歴史館のジオラマ。

 

メニュー表も開かずに「今日は何をいただける?」って料理を愛する人に聞かれたら「何が食べたいですか?」って身体が思わず反応してしまうが、そのたび家庭料理の懐深さに救われる。その人の書くエッセイがすごく好きで、それを伝えるとハキハキと力のある声で色んなことを教えてくれる。時々、帽子を下げたり手元を隠したりする仕草に胸がキュっとなるが、その手で料理のひとつひとつを仕上げてきたと思うと、なんだか背筋がシャン。4月3日、ひっそり配達も。

 

先日、Kさんの出棺は眩しい快晴で、その空のもと太鼓の囃子が彼を明るく見送った。車いすに乗って歌っていたその人が初めてさざなみにやってくる。あの時の方ですよね、なんて日々の入所者との出会いは芸能人と遭遇したような高揚感。2人は20歳の頃からの付き合い。4月4日、雨降りまっしろ。

 

ダンジョンみたいな団地の細道を抜けていくうちに、忘れていた自分の幼少期を断片的に思い出した。そういや私にも団地暮らしだった日々がある。そうそう、名前は確かさざなみプラザ。なんと過去にも「さざなみ」での生活があったことに気づく今日。長島の光明園の前身、外島保養院。そこの初代院長は曽根崎警察署長、私は曽根崎幼稚園の卒園生。偶然をすぐにこじつけてしまうのが私のハッピーな癖。4月5日、ノスタルジーは原動力。

 

自分ひとりが健康になるための食事は健康にはなるけど幸せになれない、なるほどなあと思う。
日曜日の夜にテレビで観たミャンマーの映像、翌朝は呑気なワイドショー。私は自分以外がきちんと視界に入っているか不安になる。4月6日、森のさんぽみち。

 

「わらびの卵とじ、自分じゃ上手くいかなくてヘルパーさんに頼んだんだけど、私が作った方が美味しかったのよ。悔しい〜!」「目が見える人は何でもできるって偏見持ってたの、気づいたのは還暦すぎからだったのよね。」小鶴農園のわらびお買い上げ、ありがとうございます。4月7日、来週の鍼の予約をする。

 

 

posted : 2021.05.07
喫茶店の日々 長島を歩く さざ波立つ人たち