さざなみについて

喫茶店の日々

店の由来が「さざなみ食堂」ということは、色んな人に話してきたと思う。店の名前を考えていた時に自治会のI田さんから長島にあった食堂の話を聞いて、さざなみ、という語感にピンと来た。同じく島の中にある「ライトハウス」という盲人会の集会所にあやかり、さざなみハウスと名付けた。店内の壁はブルーにしたかった。もちろん、海と空のブルーってことでもあるが、長島で暮らす画家のK志さんが描いた深い青の絵に本当は一番由来している。K志さんは長島で一番最初のお客さんであり、友人だ。話は戻して、当時のさざなみ食堂、実は職員専用のものだったということをオープンしてから知る。だから、どんなメニューを出していたとか、どんな感じの食堂だったかというのは、入所者の人に聞いてもわからない。

ハンセン病の療養所は隔離政策のためにつくられたとは知っていたが、療養所の中もしっかりと隔たりがあったらしい。手漕ぎ船を漕いでこっそり日生まで脱走して酒を調達していた話などを聞くが、日常の中で”脱走”という概念があることに驚く。そしてそのように風紀を乱したりすると監房に入れられることもあったようだ。その監房は今では埋め立てられているけれど、近くにある明石海人の句碑には

「監房に罵しりやらふ もの狂ひ 夜深く醒めてその聲を聴く」

とあり、当時の情景を感じる。光田初代園長の「愛生園日記」によると、多摩全生園の前身である全生病院での経験から療養所の秩序を守るために監房は必要だったらしい。知れば知るほど療養所の成り立ちやそこでの歴史が興味深くて、まるでひとつの国家のようだ。個人と社会の存在について改めて考えさせられている。そんなわけで当時の食堂の事実を知った時、ためらいの気持ちが胸のつかえになったけど、それでも「さざなみ」と口にして立ち寄ってくれる人がいるので私はこの店の名前を気に入っている。

 

前置きが随分長くなったけど、ここの雰囲気を作ってくれた木工作家キノワのU田さんと現場監督をしたK賀さんには感謝している。ブルーを基調にした店内にタイルを剥いで基礎がむき出しになったグレーの床、そこへU田さんが作った一枚板のカウンターとテーブルが並ぶ。窓際は木製のステージで一段高くしてもらった。そこにあるテーブル席は眺めもよく、わざわざ言うまでもなく一番人気だ。時間を忘れて閉店過ぎて焦って帰っていく人もちらほら。全体的にとてもシンプルな改装で、もとの事務所だった形跡が残っているにもかかわらず、風が抜けるような清涼感ある空間になった。U田さんと一緒にペンキを塗った時、一斗缶のクチを上にするとこぼさず注げることを教えてもらい、私の生活レベルも1上がった。

ランチやモーニングで使っているトレーもU田さんが箪笥だった材をリメイクして作ってくれた。彼は木材の表情を見つけるのが得意で、解体した古民家や使わなくなった古い家具を活かして物作りをしている。板の両端に茶色くて細い柱のようなパーツを組んだトレーはスタッフやお客さんにも人気だ。だから積極的に使っていたのだけど、数ヶ月使い出すと板がしなってカタカタするようになった。困ったのでU田さんが修理のために持って帰ってくれたけど、赤磐の山の中にあるアトリエに持って帰るとたちまち元に戻ったという。どうやらこの店に湿気は皆無らしい。海に一番近い喫茶店と謳ってしまおうかなんて考えてるさざなみハウスと緑の森茂るU田さんとこのアトリエ、環境の違いをまざまざ感じる一件となった。そしてトレーを使い続けたい私にとっては耐え難きジレンマとなっている。

 

この島の環境が身体を伝って少しずつ自分に浸透してきた、と思うのは、まだまだ気が早いだろう。店に来るお客さんで一番長く長島で暮らしている人はなんと80年、私なんて足元の砂粒にも及ばない。だけど、DJの国際交通さんに教えてもらった島倉千代子の「愛のさざなみ」は私のお気に入りで、さざなみがもたらすやさしい予感を受け止めている。愛生園は今年で創立90年、私たちの店はスライディングのようにして名を刻んだけど、10年後はどんな店になっているんだろう。

posted : 2020.05.21
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