おんなふたり

喫茶店の日々
一週間が終わってサウナへ行くことは、身体と心が健やかであるための神聖なる儀式だ。サウナで火照った身体を水風呂で冷やして、外の空気にふれながら血液が全身をめぐって落ち着くまで露天風呂の隅にあるベンチであおむけになる。12月、いくら外が寒くても気にならない。数年前までは、露天風呂の岩渕にたたずむおばさま方を不思議な気持ちで見つめていたけど、どうやら私もその向こう側へとたどり着いたらしい。寝転がって両方のまぶたをおさえると広がる、チカチカとした星が両手に振動となって伝わってくる。それがだんだんと落ち着いて、目の前が明るいのか暗いのかわからないぼやけた黒に変わっていく頃、私以外の音が聞こえる。オルゴールのBGM、シャワーや流れるお湯の音、人々の談笑、隣の男湯と会話している子どもの声。両手で顔を抑えて鼻からゆっくりと深い呼吸をしながら、ふと思う。私はひとり、何をしているんだろう。
30歳を過ぎて、自分に与えられた自由な時間を過ごす中で不思議な焦燥感に駆られることがある。それは子ども、家族という他者がごく身近な生活環境に存在していないからだと思う。お金や時間を自分ひとりの采配で費やしていくことに居ても立ってもおれない瞬間がある。そんな時は倹約して貯金をしてみたり、一日、一週間の中に少しでもたくさんの習慣を作って気持ちをあやすのだが、サウナで心の底からリラックスをして身体の力が抜けていくそばで子供に一生懸命な母親の気配を感じると、こんな自分が何だか申し訳なく思う気持ちが芽生えるのだった。それは歳を重ねるごとに濃厚になっていく。
愛生園の過去の書籍をたどる中で昭和27年発行の『小島に生きる』と出会った。光田園長の序文に始まり、当時の入園患者たちによる文芸の数々が収録されている。そこでひときわ心を奪われたのが双見美智子さんの『女二人』という小説だった。出産後の衰弱でらいを発病した里子は、乳飲み子と離れて療養所へやって来る。同室であった若い娘の由美が結婚前に身ごもったことを直感的に気づいてしまい、由美の若気の過ちに里子は感情が荒れ狂うも彼女に寄り添う。医師に妊娠が伝わるのが遅れてしまい、由美は7か月で堕胎手術することになる。つまり、出産して取り出すのだ。「オワア、オワア」と全身で訴える子供の声が遠ざかっていくのを聞く二人のシーンで小説は終わる。
読後、苦しみが胸をつらぬいた。それからは、双見美智子という人物の行方が気になり、書籍を読むたびに名前を探した。その後わかったのは、彼女が愛生誌の編集に長年携わってきたということだった。編集部の駒林さんから思い出話を聞く。「自分が書き手になるより、編集者という立場を全うした人。」「生後10ヵ月で置いてきた子供が大きくなって、突然自分を訪ねてきた時にも恥じることのない生き方をすると決めていた、強くて前向きな女性だった。」
双見さんがつくった愛生誌を読むことができる現在がなんと幸せなんだろう。もし、今を生きていたらさざなみハウスに来てくれていただろうか。私の小さな悩みを高らかに笑ってくれただろうか。彼女の思い出話を聞いたその日のサウナは身体と心が一段と軽くなったようだった。今しかない自分だけの時間、再び日々を歩く勇気が湧いてくる。
posted : 2021.12.25
喫茶店の日々 長島を歩く さざ波立つ人たち