2021.9.30一日一題『長島と私』山陽新聞掲載

 

岡山ブルーラインの虫明インターチェンジを下りると、虫明と福谷という地区に出る。東へ行くと虫明湾、漁船が並ぶ。少し歩くと、かつて本土と長島を行き来していた船着き場がある。1988年の5月に邑久長島大橋が本土と長島を結ぶようになって船便はなくなったと聞いた。その年に私は生まれた。

以前、裳掛地区コミュニティ協議会会長の服部靖さんに虫明湾の周辺を案内してもらったことがある。歩きながら、裳掛地区と愛生園との関わりについて少しずつ教えてくださった。

愛生園が開設された当時、国と地元の村との会議や交渉は地域住民に悟られないように行われたそうだ。療養所ができたことで雇用が生まれて地域経済は潤ったけれど、いわれのない風評被害も受けてきたのだという。ふだんは穏やかで優しい服部さんだが、話を進めるうちに息づかいが荒くなり、悲しみで目が真っ赤になっていた。長島の対岸の地域にも、ハンセン病問題と共存した90年の歴史が存在する。

長島に関わるようになって、自分の胸の内に確かな変化を感じるようになった。これまで自分が「分かったつもり」でいたことがあまりに多く、現実に困惑することしきりだった。さまざまな問題に対して、中立の立場だと思って発言していた過去の自分は、しょせん他人事としか問題を捉えられていなかったのかもしれない。世の中には自分の物差しだけでは決して語れないことがあふれている。

人々の心に長年蓄積された怒りや悲しみの感情はきっと消えることがなく、体の奥底で静かに揺らめいているのだろう。その感情を胸に秘めながら日々を懸命に暮らし、人生を全うしていく数多くの人たちと出会った。そうした生き方に豊かさを感じる。私は、この先どれだけ自分の心を揺さぶることができるだろうか。

2030年は愛生園の創立から100年、長島は一体どうなっているのだろう。それを見届けるためにも、さざなみハウスの営業を続けていかねば。エイエイオー!

2021・9・30

 

posted : 2021.09.30
喫茶店の日々 長島を歩く さざ波立つ人たち