長島アンサブル 5th time
黄金のみち、銀のさざなみ

2023年11月、5回目となる長島アンサンブルが開催された。
タイトルは「黄金のみち、銀のさざなみ」。
初日となる11日には寺尾紗穂(シンガーソングライター、文筆家)と 山川冬樹(美術家、ホーメイ歌手)の ふたりによる共演コンサートが、続く12日には寺尾紗穂、鑓屋翔子(さざなみハウス店主)、 大石始(文筆家)によるトークセッションが行われた。

1931年の開園以来、長島愛生園ではさまざまな人々の人生が交差するとともに、機関誌「愛生」などを通じて入所者たちの日々の暮らしや思いが綴られてきた。 人々は長島の地で何を綴り、どのような思いを込めてきたのだろうか。 そして、現在に生きる私たちはその言葉にどのように向き合うことができるのだろうか。12日のトークセッションの模様をお届けしたい。 (Text:大石始)

「愛生」に綴られた言葉と
いかに向き合うか

大石

「愛生」の書き手の方もかなり少なくなっているわけですよね。

鑓屋

そうですね。今は編集部の駒林さんがひとりで作っていらっしゃって、宮崎かづゑさんという1928年生まれの方が書き溜めている原稿をすべて載せるまでは「愛生」を続けようと考えているようです。

蕗之芽会という俳句の会があって、ひとりまだ入所者の方がいらっしゃるんですね。あと、聞き書きしたものを溜めてあって、それを駒林さんが少しずつまとめています。

大石

じゃあ、今はかづゑさんの存在が「愛生」を支えているわけですね。僕も以前お会いしましたけど、ものすごくエネルギッシュな方で、とても90代と思えないぐらいお元気です。

鑓屋

そうなんです。かづゑさんは90代になってから水彩画を始めたんですよ。かづゑさんは指先がないので、自助具をはめてキーボードを打っていたんですけど、今は指に筆を巻きつけて絵を描いています。

大石

寺尾さんにもぜひかづゑさんに会っていただきたいですね。

寺尾

そうですね、ぜひお会いしたいです。(目の前の「愛生」の山から一冊取りながら)そういえば、この号もさっき鑓屋さんが教えてくださったんですが…。

鑓屋

1956年のこどもの日特集号ですね。
「愛生を読む会」にひとりで来られた高齢の女性がいるんですけど、その方は1968年だったかな、島の外の中学校に赴任をして、そこの分校が愛生園にあったんですよね。自分は本校の先生だったけれど、分校にいた魚返先生っていう方を慕っておられて、「愛生」の消息欄でたまたま魚返先生のことを見つけたんです。その先生の書いた言葉を読んでみたいと思います。

魚返定夫『病気』

 病気は早く癒さなければならない。
療養所に永く閉じこめていては、
あたら尊い人間をだいなしにしてしまう。
病気が人間を働けなくしてしまうと共に、 施設が人間を変えてしまう。
隔離が人間を生ける屍にしてしまう。
病者を早く全快させて、社会に送り出さなければならない。
一日も早く隔離のいらない治療法を発見しなければならない。

自然治癒の場合もあるものを、
必ずや病原体と、その栄養物と、
触媒等の関係の研究によって、
完全治癒の方法が発見出来ると思う。
病者と共に、人間修行に努めながら、
病気の全治方法を、ひたすら探し求める。

毎日の生活に、この上ない充実の喜びを覚える。
病者と共に、人間完成に努めながら、
病気の研究と開放に、
すべてを集中しているけれども
道は尚遠いのか。
焦らずにはいられなくなつた。

光田さんが園長をやっていた時代に書かれたもので、この号の発行者にも光田さんの名前が書かれています。

寺尾

なかなかストレートな言葉ですよね。
「施設が人間を変えてしまう。隔離が、人間を生ける屍にしてしまう」という。現在の入所者の方がこの言葉をどう読むのか、ちょっと考えさせられてしまいます。

大石

時間もそろそろという感じなんですが、最後におふたりから何かあればお願いします。

寺尾

昨日のライブで清志さんの説明をするとき、「自治会には入らなかったり、一人でジャズを聴きに行ったり、とても自由に生きた方でした」と簡単に説明してしまったんですけど、簡単に「自由に生きた」と言ってしまってよかったのか、後から考えてしまったんですよね。

でも、確かに一度だけお会いした清志さんは自由の風が吹いてるような方で。外から見る視点も必要なんだけども、中に入って実際に向き合ってみないとわからないことってたくさんあると思うんです。当事者の声を聞くことがやっぱり一番大事なのかなと思いますし。

大石

本当にそうですね。

寺尾

歴史的な事象についてはもう過去のことなので、それができないわけですよね。でも、書物を通して当時の生きた声に触れることはできる。そういうことが一番大事になってくるのかなと思うんです。

そういう意味で「愛生」を読むことはすごく意味のあることだと思いますし、鑓屋さんのような方がさざなみハウスを切り盛りしながらこういう活動されてるっていうのは本当に素晴らしいなと思います。

大石

では、最後に鑓屋さんにまとめてもらいましょうか。

鑓屋

「愛生」を読み始めたことで、愛生園の人たちとの関わり方が少し変わってきたところもあるんです。あのときのちょっとした冗談はこういうことだったのかとか、いろいろと考えることが増えました。

それと、自分が本当に過去のことを何も知らないなと気づかされました。ハンセン病のこともそうだし、戦争のこともそう、日本のことを何も知らない。「愛生」に書かれたそういう声が、私が何かを知るための原動力にもなっているなと感じます。

さざなみハウスに来ていただければ、「愛生」のバックナンバーをざっと置いてありますので、こちらに来たときには今日の1冊を選んでいただいて、気軽に読んでいただければと思っています。

【おわります】